美濃焼の歴史
平安時代に作られた須恵器から発展し、鎌倉時代以降、瀬戸市周辺の丘陵地帯ほどではないが古瀬戸系施釉陶器を焼く斜面を利用した窖窯による陶器生産が開始された。16世紀に織田信長の経済政策によって瀬戸市周辺の丘陵地帯の陶工たちも美濃地方(土岐川以北)の集落に移り住んで窖窯よりも焼成効率に優れた地上式の単室窯である大窯を多数築いた。江戸時代になると、窯体構造は、大窯から連房式登窯となり、志野焼に加えて織部焼の優品が生み出された。江戸時代末期に磁器の生産が始まり現在では日本の和食器・洋食器の大半を生産する大窯業地となる。
幸兵衛窯
幸兵衛窯は、文化初年(一八〇四年)初代加藤幸兵衛により、美濃国市之倉郷にて開窯され、間もなく江戸城本丸、西御丸へ染付食器を納める御用窯となりました。
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仙太郎窯
祖父 仙太郎が、明治初年、美濃市市之倉井上の地に築窯し、その後、喜七を経て創業百年の今日に至っております。お蔭で祖父伝来による作陶の環境に恵まれ、伝統の志野、織部、黄瀬戸などを手がけて、新しい開発を試み、土と炎の芸域に少しでも、近づけることが出来ればと、努力をいたしております。
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